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2005年08月16日
八月十五日。
何となく漢数字で書きたくなるのは私だけではないはずだ。
見事な夏風邪で五日間ほど寝込んでおりました。
関係各方面のみなさまには大変ご迷惑をおかけいたしております。
明日より出社いたしますので、ご無礼の段、何卒ご容赦下さいますよう、衷心より切にお願い申し上げます。
それはともかく。
八月十五日である。
終戦60周年である。
そう言えば、「終戦60周年」とはよく言うが、「敗戦60周年」とはあまり言わないなあ。
このことはどう考えるべきなのだろうか。
「敗戦」という言葉のどこか卑屈な響きを忌避している結果なのか。
「戦争に負けた」と言うことより、「戦争をしてしまった」ことが重要であるという無意識に依って立つものか。
それはひとつの問題提起としてほったらかしにするというか、みなさまのご意見をいただきたいところですが。
小泉純一郎は靖国神社に行かなかったわけだが。
報道されているとおり衆議院選挙への影響を考慮しての云々、と言う話であれば、ちゃんちゃらおかしい。
自民党の票田のひとつとして遺族会(正式名称は忘れた。全国戦没者遺族会だったか)があるわけだが、要するに靖国参拝は小泉にとって選挙のためのポーズであって、それが選挙に悪影響を与えるという判断であれば取りやめる程度の問題であったと言うことだ。
「戦争は外交の一手段である」とは、クラウセビッツの言葉だそうだ。
(俺の記憶では「最後の言葉である」だったのだが)
最近は「戦争は外交の失敗、戦場は議場の失敗」などとも言うらしい。
「特攻は統率の外道である」と言ったのは大西瀧治郎海軍中将だそうだ。
要するに何が言いたいかというとだ。
数ある外交の手段の中から戦争を選んでしまった(選ばざるを得なかった、選ばされた、あるいは選ばせた、と言い換えても良い。どうせ同じ意味だ)こと。
数ある戦術の中から特攻、あるいは無差別爆撃、さらには原子爆弾の投下を選んでしまった(以下同文)こと。
そう言うことについて小泉式の「愛読書は特攻隊の皆さんの遺書をまとめた本(筆者タイトル失念ご容赦)だ」的靖国論は、何ら説明をしていない。
総理大臣として靖国神社を考えるとは、国家の特に対内的な戦争責任を考えることを内包せねばならないと思惟するところであるのだが、どうか。
話はやや変わる。
俺は広義の第二次世界大戦(太平洋戦争、日中戦争含む)は、その勃発そのものが歴史の上での一種のバッドエンディングだったと捉えている。
最初のフラグはもしかすると15世紀ぐらいから立っていたんじゃないかと思ったりもする。
最後のフラグを立ててしまったのも、実は単に枢軸側とされる「プレイヤー」だけではないのではないかと考えてもいる。
だから、戦争、およびその中で起こる様々な出来事は全て、人類がかつて愚かであったことの証左に他ならないと考える。
さらに現代を省みてみる。
数ある権利主張の方法の中からテロを選ぶこと。
宙ぶらりんな国際連合。
作っちゃったらなかなか壊せないらしい核兵器と、未だ絶えない核武装志望国。
つまるところ、人類はまだまだ十分愚かだということではないか。
だから、外交問題も国際紛争も、無くなるということは無いだろう。
だが、それを「仮想の一点」として漸近していくために、人類はまだ愚かであるという認識は、礎足り得るのではないかと、俺は考えるのである。
投稿者 ushila : 2005年08月16日 01:14
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コメント
日付変わってるし。書き始めたのは15日だったんだが。
投稿者 ushila : 2005年08月16日 01:16