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2005年12月09日

メタ萌え論、メタオタク論としての記号論(7)オタクと記号4

価値と権威をめぐるダブルスタンダード の続き。

実際には、オタクコロニー(オタク内世間)を他の集団に置き換えれば、ふたつめと三つめは実はいくらでも一般化できる話である。


端的に言えば、(ここ大事)オタク内世間にも、善悪や好悪の基準も、ヒエラルキーも競争もあるのだ。


一般人がヴィトンのバッグや一戸建ての家やベンツを欲しがり、出世のためにダンナのケツをひっぱたくように、オタクはデンドロビウムのプラモや限定フィギュアや同人誌に群がり、MMORPGのキャラのレベル上げのために徹夜するのである。
(この辺は前にも書いたな。モノ語り自体もうちょっと掘り下げて書いてもいいと一瞬思ったが、現代社会がどうのこうの言う実りのない文章になるのが目に見えるようだ)

別の例だって山ほどある。
たとえ話は泥沼にはまるのでやめるとするが。

で、結局のところ、オタクを特徴づけているのは、記号に対する反応がデジタルである、ということに尽きるように思う。

目の前に大好きなエサがあれば簡単にネコまっしぐらになって食べあさるし、エサをくれる飼い主を神と崇める。
ついでに、そのエサを食べ飽きれば「ネコまたぎ」さながらの反応を見せる。

嫌いなものは加減も躊躇もなく叩くし、それに関連するものも疑いなく、例外なく、徹底して嫌悪する。

そういう自らの行動原理を容認するものは賞賛し、批判に対しては場のコードを転換して身を交わそうとする。

そういう、なつかしの「クリィミーマミ」の主題歌Aメロのような価値判断こそ、実はオタクの本質なのではないか、と愚考するのである。

だからジャニヲタはモーヲタを嫌悪し、モーヲタはビジュアルバンドファンを叩き、格ヲタとプヲタはいがみ合い、ノアヲタと塩日ヲタや、ファースト原理主義者と種ヲタは不毛な内ゲバを繰り返すのである。
(ちょっと前なら新日本プロレス~UWF周りの離合集散劇が、それはそれは面白かった)

冷静に考えてみれば、これはそのまんま過激派の内ゲバの構図だし、オタクがサブカルの一派である以上、サブカルの行動原理がもともとそういうものを内包しているのは間違いないので、当たり前といえば当たり前なのであるが。


ちょうど今日発売のスペリオールに掲載されている「ラーメン発見伝」のエピソードがそのあたりのを活写していて面白いので、ご一読あれ。


さて、2回前に「残り2回」と言ったが、読んでいただいてわかるとおり、まだ「萌え」の分析に入れていません。

次回何とか1回分で終わらせるつもりの善光寺さんなんですが、はてさてどうなることやら(アバンティ風)。

投稿者 ushila : 2005年12月09日 22:31

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