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2006年01月14日

ドラマ「サトラレ」残り5話

総合的には、前半5話よりは引き締まったストーリーになっていたのではないかと。
原作の里見は、わりとシリアス担当だし。
三の線担当は西山君であって。


・・・。
っていうか、泣けた。
ゲロ泣きした。
ワタクシ本日、かなり涙腺弱い人になってます。
ドラマでこんなに泣いたのは「踊る大捜査線」で真下が撃たれたとき以来だ。
(アニメだとコロニー落しを見送るウラキの慟哭で泣いた)


しかし、人間の思念ってあんなに整理されたものじゃないよな。
なんつーか、「プロジェクトX」のオープニングとか、エヴァの表現とかにありがちな、こう、いろんな単語とか短いセンテンスがバシバシ脳内を飛び交う状態があって、その後だんだん整理された思考になるのであって(え?俺だけ?)。
実際世の中にサトラレなんていう人間がいたら、周りの人具合悪くなっちゃうんじゃないかな。


以下ネタバレ含むが、原作の元エピソードにせよ、ドラマの本放送にせよ、遠い昔なので大目に見ていただく方向でひとつ。

身内の末期がん手遅れネタは里見を主人公にする以上、不可欠なんでしょうな。
実際それにまんまと泣かされるわけだし。

「声の大きい正直者に育てた」は、りんちゃんネタか。
それにしても、原作にせよドラマにせよ、きれいな言葉が多い作品、という印象があるな。
「私がサトラレなら、あの人をどんなに愛しているか伝えられるのに」しかり、
「あの子がどんなことを思っているのか知ることができるのは、母親として幸せだ」しかり、
「心が透明なサトラレだからこそ、人の中で生きるべきだ」しかり。

サトラレばらしは切ないなあ。
本人の失望感と、周りの人の自分の気持ちが伝わらなくて苦しいっていう気持ちの交錯する感じが。

原作に絞って言うと、西山君の最後には読みながら泣いた。
最近俺的にブームの「もやしもん」と並べると、沢木とサトラレでは能力の性質が異なるせいもあろうが、得意な能力を持っている人間の描かれ方として、「サトラレ」のほうがややペシミスティックな印象があるのだけど、あのシーンは切ないながらも、未来への希望を感じられる、ある種の清々しさもあった。

ところで、「サトラレneo」ではティーンエイジに成長している、西山君の遺児・光ちゃんは、「人の心の光」(C)アムロ・レイを示せるのでしょうか。
期待してます。
ガノタですんません。
ほんますんません。

投稿者 ushila : 2006年01月14日 20:52

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