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2006年07月13日

雑誌「GiRLPOP」休刊 と わたくし。

だいぶ旬をはずした話題と言うか、
世間様にとっては物凄くどうでもいいので、実は旬とかあんまり関係ないんじゃないかという話題。

まずもって、ガールポップっていったいなんだったんだ、
と言うところの総括からはじめないといけない。

ガールポップと言う言葉自体、件の雑誌と切っても切れないものであったから、
大雑把に言えば、そこに掲載される歌手イコールそれ、
ということになる。

俺個人の話で言えば、ちょっと目を放した隙に見事なアイドル雑誌に変貌していて
ぶったまげたことがあるわけだが、
雑誌および言葉の誕生そのものが、いわゆる「アイドル冬の時代」の中でも
「厳冬期」とでも言うべき90年代前半だったということに着目すべきだろう。

それ以前の「アイドル」という言葉との対比で言えば、
シンガーソングライター、または音楽以外の活動を基本的にしない、概ね20代のシンガー
ぐらいの定義というか、くくりだったように思う。
わりと商業的成功を収めた人を列挙すれば、谷村有美、加藤いづみ、井上昌己、
(特に後期の)森高千里あたりが該当するだろうか。

(永井真理子は位置づけ的には「前史」に当たるらしい。
 鈴木祥子は微妙にマーケットが違うのか、ほとんど取り上げられることがなかったと記憶している)

実際には元アイドルが「アーティスト」に転向するとガールポップのくくりに入るとか、
某グラビアタレントが歌手活動をしてたときにはこっちのくくりだったとか、
いろいろとあいまいだったり、正直便利使いされてたりした部分というのは無きにしも非ずで、
いまさらマジメに語るに足りるのかというとちょっと鼻白む部分もあるのだが。


当時のガールポップも、
実は支持基盤としてはアイドルポップスの聴取者層をそのまんま内包していたので、
その後のガールポップとアイドルポップスがほぼ同義になっていった流れはある意味必然だった
のかとも思わなくはないだが。

実際、当時の別の流れには「渋谷系」があったと思うんだけど、
ムリヤリそことの関連で言うと、ミディアムとアコースティックに一定の評価を与えたとか、
批評的な(批判的な、ではない)リスナー層を作ったとか言う意味では、同じような役割を
果たしたと思うんだよね、俺は。
当時のサブカル君たちが渋谷のタワレコやHMVでやってたことを、オタク層は秋葉原のヤマギワや
ラオックスでやってました、みたいな。

その後のモーヲタの語り口とか、俺が好むアーティストのファン層の物言いなんか見てると、
明らかに当時ガールポップに踊らされていた(自己批判を込めて)奴らの匂いがして、
あーみんなここに来てたのね、みたいなことを思ったりする。


こっから先は闇に向かって刃物を振り回すような文章になるが、
一般的なポップス聴取層は、音楽にはバラードとアップテンポしかないぐらいに思っているのでは
あるまいか。
だから、アップテンポ(ヒット)>バラード(大ヒット)>アップテンポ(大ゴケ)を経て、
バラードしかシングルリリースしなくなって、才能を痩せ細らせていった歌手には枚挙に暇がない。

そういうヤツは「壮大」と「冗長」、「賑やか」と「うるさい」の区別も付かないし、
「意欲作」と「なんか変わっちゃった」の差もわからないから、
「新しい」とか「独特の世界観」とか「元気」とかキャラ付けされた歌手は、そこから一歩も
動けなくなって途方にくれる。

小泉純一郎が「Endless Rain」をお気に入りと言い放つのは、結局Xジャパンの他の楽曲は、
彼の理解の範疇にないことをひた隠しにしてのプロパガンダに過ぎないんじゃないかと思う。
(サブカル文化人が「ぼくんち」を引いて、サイバラも好きな僕っていいヤツでしょ、みたいな
 ことを言うのと同じ文脈)

オレンジレンジが三絃の音なんかサンプリングしてるのを聴くと、
みんなこういうの好きでしょ的な浅知恵の産物なんではないかと疑問を感じる。
って言うかお前ら違うだろうよ。
胡屋十字路あたりでガイジンひやかしたり、北谷のフリマでおネエちゃんナンパするほうが
好きだろうよ。


そんな状況で商業的に成功できるのは、
ある特定の記号が入っていれば「新しい」と感じるリスナーや、固定層を相手に粗製濫造を
繰り返すメーカーやアーティストだけなんじゃないのか。
(あ、ちなみに、たまにワケのわからない冒険をしてくれる某男性アイドル事務所については、
 素直に感心しています。黒なし。)

そういえばガールポップと同じような言葉に「オレソロ」(男性ソロアーティスト=「俺のソロ」)
ってのがあったけど、こっちはぜんぜん定着せずに消えちゃったね。
「メガネロック」てのも、一時言われてたけど、その後どうなったんだろうか。


そんなわけで。
文化の活力はその多様性に立脚している。
とは、自分自身もう何年前にいった言葉なんだか忘れてしまったが。

たまには大きな声で「俺はここにいるぞ」と叫ぶことが、ちょっとでもJ-POPシーンを
面白くすることにつながるんじゃないか、と、コレを期に改めて思ったのである。

投稿者 ushila : 2006年07月13日 02:06

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