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2007年03月14日

喪の作業は自分のために必要なんだそうだ。

人の死を美しい言葉で飾ることへの違和感を覚えたのは
ほんの些細なきっかけで。

それでもそれをせずにいられないのは、
人が人との別れに際してできる唯一のことは、
「忘れない」ということであると、
いびつな死生観の中で俺はただひとつ信じているからで。

「喪の作業」が自分のために必要なのだとすれば、
「これは自分のためにしている」という自覚と、
「これは自分に許された作業だ」という認識の元に、
俺にできることをしようと思う。


歩き姿がきれいなヤツだった、
という記憶がある。
内面に激しさを抱えていながら、いつも穏やかに笑っているやつだった、
という記憶がある。
お前がいて楽しかった。これは臆することなく言える。

そして、お前がお前の人生を真摯に生きたということは、
いつ誰に問われても必ず答えようと思う。


またな。

投稿者 ushila : 2007年03月14日 02:10

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