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2008年06月15日
雷句誠 小学館を云々。
どちらかといえば雷句側を弁護したい気分ではある。
結論を言ってしまえば、突っ込みどころを作ってしまった方の負け、なのだろう。
(竹熊氏の主張もわかるのだが、マンガ雑誌の数が半分になって定価が倍になる云々は、軽くドウカツだろう)
何れにせよ、
・複製や流通の手段を有する企業
と、
・基本夢食って生きてる創作者
が考える「いい作品」の定義が一致すると思う方が間違いであると思う。
だから大衆向け娯楽作品を制作する企業は、自らがいってに引き受けることになる投機性から逃れるために、スキャンダリズムや模倣主義に走りがちであり、創作者は独りよがりに落ちる傾向にあるわけで、名作・佳作と呼ばれる作品はその微妙なバランス(あるいは衝突)から生まれているのだろう。
(どちらも枚挙に暇がない。成功例だと最近はポリリズムにおけるヤスタカの「それなら勝手にやっちゃうよ」スタンスとか、ブログにおける石川雅之の「ぼやきもん」ぶりとか)
で。ヒット作は企業側と作家の双方に変化をもたらす。
企業側にとっては作品・作家がより大きな投機の対象になるし、作家は書きたい(描きたい)ものにより忠実に、誤解を恐れずに言えば、より利己的になる。
別の言い方をすれば、創作で食べていくということと、思うような作品を書く、ということは、おそらく別の次元にあるのだろう。
(きわめてニュートラルに言っても、新條まゆ氏の「もうセクシャリティを描写する作品は描きたくなかった」という趣旨の発言は、こうした作家心理を物語っていると思う)
そのせめぎあいは、あるいはよりスケールの大きな名作の土壌になりえたかもしれない、と思うのだが、雷句氏と小学館の関係は、どうやらその機会を永遠に失ってしまったようだ。
で、と。
本件訴訟の訴因は、小学館が雷句氏の原稿を紛失した、というところにあるわけだが、その根底に横たわる互いの主張の正しさを証明する場は、法廷ではなく、やはり創作の場なのかも知れない。
・・・とは、あまりにもロマンチシズム寄りの結論なんだろうな・・・っつって。
投稿者 ushila : 2008年06月15日 01:50
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