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2008年12月07日

小室哲哉氏 と わたくし。

俺が彼を「コムロ大先生」と呼ぶのは、やや皮肉まじりであるのだが、それはさておき。

小室先生が以前におっしゃっていたことで、強く印象に残っている言葉がある。

正確に覚えているわけではないが、
「自分が作った曲は将来、「名曲」とは呼ばれないかもしれないが、
 今という時代を映したものとして心に残ればよい」
というような言葉だったと思う。
(大衆音楽に対して用いられる「名曲」という言葉には俺自身前々から胡散臭い
 ものを感じていて、それはそのうちまとめようと思いつついつも先送りになっている
 のだが)

果たして、小室哲哉が残した曲が彼が言うような評価になるかどうかは、
もう10年ぐらい経たないとわからないんじゃないかと思うわけだが、
芸術・芸能やスポーツの分野には、ときおりあのような人が現れる。

時代の空気を敏感に嗅ぎ取り、また時代に求められ、そして時代を作る人物だ。

俺自身は、いわゆる「プロデューサー小室哲哉」という人の作る音楽が
必ずしも好きではなかったし、なにぶんにも逮捕という出来事の直後なので、
「たとえばこの人のような」というたとえがしにくいわけだが。

とにかくそのような人を呼ぶ呼称は、「怪物」とか「時代の寵児」とか「時代と寝た」
とかいくつかあるけれども。
彼のことはニュートラルに考えて間違いなく「天才」と呼んでよいのだと思う。

で、その天才の作品たちを現在の尺度において「駄作」と切り捨てるのも、
「あんなことをした人の作品」として封印するのも、
必ずしもフェアな態度とは言えないんじゃないかな、と思う。

いいじゃん。
これからの彼の物語がどのように紡がれるにせよ、
日本にはコムロ大先生に踊らされた時代があった、ってことで。
大衆音楽にシンセサウンド・ダンスサウンドを定着させたのは、間違いなく
彼の偉業だったと思う。

ぶっちゃけ、芸術家とアスリートは、功績においてのみ評価されるべきだと思う。
人柄だ常識だで図りたいなら、そりゃそのへんのサラリーマンとかでやってくれ。

投稿者 ushila : 2008年12月07日 21:30

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