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2009年06月17日

まだ通常営業にならない。

当たり前か。
三沢がいなくなったことを受け入れるための理屈がいくつあったって、
そこにわだかまる自分の気持ちに決着をつけるための言葉など、見つけられようはずもない。

とにかく、三沢光晴という人について、まだ考えている。
結局あの人は、稀代の「意地っ張り」だった、という表現が、今のところ一番しっくり来ている。

馬場さんのプロレス観にも、鶴田の底なしの強さにも、川田のジェラシーにも、
小橋のケレンのないプロレス小僧ぶりにも、ハンセンやゴディの苛烈さにも。

あるいは、ファンの期待する自分にも、自分の限界のようなものにも、
あの人は負けたくなかったのだ。

俺たちは、その稀代の意地っ張りと同じ時を過ごした。
その意地を通して、あの人は去っていった。


そして。
三沢がいなくなっても、世界は無くならなかった。当たり前だ。
「三沢光晴がいた世界」があるだけだった。

世界は何かのために、あるいは何かによって存在しているのではなく、ただそこにある。
人は何かを為すために生まれてくるのではなく、ただ何かを為して死んでいく。
その善悪にかかわらず。だ。


三沢。
俺も、あんたたちがいたことぐらい、語り継いでいいかな。

投稿者 ushila : 2009年06月17日 23:15

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