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2009年09月17日
「アニメって奇跡でできてるよぉ~?」by沢城みゆき
「あとがたり」で、
目ぇキラッ☆キラさせてんのが容易に想像できる勢いで語っていたわけで。
ああこの人はピュアなんだなあ、と思った。
確かに「化物語」には奇跡が起きている感じはする。
俺自身久しぶりにマタタビネコ状態で踊らされてるしな。
だが、俺はあえて言わせてもらう。
(ピュアっ子の脳天に冷や水浴びせるのは汚れた大人の特権であり義務だ(笑))
「人の営みには時々奇跡が起こるのだ」と。
そりゃ別にアニメだけじゃないし、
全てのアニメ作品に奇跡が起きているわけでもない。
ことエンターテインメントの世界においても。
「それ」がおきる要素は本当にさまざまだ。
ほとんど一人でそれをぶち上げてしまうガチ天才というのも確かに居るし、
単純に何人かのプロがそれぞれのベストを尽くした結果であったり、
集まった人たちのチームワークの賜物であったり、
お互いにインスピレーションを与え合った結晶であったり、
ときには(ネガティブな意味での)ぶつかり合いや、
自己主張の産物であることもある。
もちろん、ホントにただの偶然やタイミングによるものだったりもするし、
ライブイベントなんかにおいては、観客の存在がひとつの要素になってしまったりもする。
結局、あるエンターテインメント作品が、後の世に「名作」と呼ばれるような、ひとつ抜けた存在になるためには、そこに何某かの「奇跡」が起きている必要があるのではないか、と思うのだが。
どんなメソッドを用いてその確率を底上げしたとしても、毎度毎度都合よく奇跡は起こらない。
それに、どんな場合にも適用できて、100%の成功率を誇る「奇跡の法則」なんてものは存在しないんだろう。
つまり。
奇跡を起こそうとしてる人も、
うっかり奇跡を起こしちゃう人もいて。
すでに奇跡のようなことを世に送り出した人が、
もう1回奇跡を起こそうとしたって必ずできるとは限らなくて。
そこで才能を摩り減らしてしまう人も、
別の奇跡にたどり着く人も居て。
たとえば沢城みゆきが次の奇跡にいつめぐり合うのか、俺は知らないし、知る由もないけれども。
彼女が次の奇跡を起こそうとする人であることだけは間違いないのだろう。
そして。
そういうたくさんの彼女や彼たちが起こす奇跡が、歴史とかという大きな流れに飲み込まれてしまうものだとしても。
そのいくつかを目撃することは(それ以上に多くのスカをつかむリスクもあるんだが)、リアルタイムにしかできないことなんじゃないのかな、と思うんだよね。
少なくとも、すでに起きてしまった奇跡の上辺だけを撫ででそれを知ったつもりになっていたり、何かを一方的に無価値なものと断じたり、終わっただの劣化しただの言うよりはさ。
楽しいよ?きっと。
肯定は否定より難しいんだけどね?
投稿者 ushila : 2009年09月17日 20:26
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