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2010年06月22日

サキノハカという黒い花(宮沢賢治)。


表現において何らかの様式を踏襲することの重要性や、
表現の内実にあるテーマのようなものは普遍的であるべきだ、
(または結局普遍的なものでしかないんだ)
ってことについては、実際あんまり異論は無い。


音楽の世界で言えば和音やコード進行ってヤツは決め方も外し方も決まってるわけだし、
ロラン・バルトに頼れば、
全然関係ない複数の地方の伝承には、結局同じ道徳的テーマ(それこそ仏教の五戒みたいな)が隠されているなんてことも珍しくないらしい。
(バルトが稀代のトリックスターだったって言う説もあるが)

心理学サイドからは、人間は見慣れたものに好感を持つとか言う「ハロー効果」あたりにお出ましいただけば、この論理については万全の補強が成立するだろう。

ぶっちゃけ「独自に開発した数学言語」とかで小説書かれても読めないし~~~。
(ここで「めだかボックス」を持ち出すのは文脈として非常に危険


だからっつって「音楽はバッハの平均律で完成してしまっている」とかのたまわる野郎とは、もはや一言も話したくないので、続きの御託をのたまわるまえにアゴにテンカオ喰らわせて舌噛ませてやる。
「ぶぶぜらっ!」って言わせるぞ、「ぶぶぜらっ!!」って。
(注;書きたいだけです)


ただ、そういう小リクツをこねるまでもなく、
創作者は必要以上に「独創」や「上手さ」を求めてしまう、っていうことを言ってんじゃないのかな、コレ。
と思うのだ。

往々にしてそれらは、
独創性にばかりこだわってなんら受け手に伝わらない何かや、
独創的にやったつもりが、意図せずして先んじた何かによく似た何かや、
小さくまとまっただけの何かに帰結してしまうと。

その場合、どっちにしても創作者に残るのは失敗の記憶になってしまうけれど、
そんな結果よりも、自分から見える世界を自分なりに切り取るってことに全力を尽くせよ。
今、その世界を見てるのは自分だけなんだから。

ってことなんじゃないのかな。

それが世界全体のニーズや状況……

たとえば新しい表現手段(メディアや伝達手段や道具や素材)の発明。
あるいは世界と人間の関わり方の変化。
さらには単純に前の時代への反動めいたものも含めて。

……と重なったときに、結果として独創的な「新しい表現」って言われるんだろう。
とりあえず文学やら音楽やら美術やら建築やら、およそ「創作」といわれる分野で、過去に新しい表現と呼ばれたものは、そのように生まれてきているように見えるし。


でもねえ。
結果として、っつってもねえ。
せめて死後評価が高まったゴッホじゃなくて、存命中から巨匠だったピカソになりたいよねえ。
ピカソも別に聖人のように美術に打ち込んだ人だったわけじゃないし。

あたかも創作者は金儲けをするな、みたいな言われ方が間々されるけれども。
そのぐらいのあざとさは、創作者に許されるように思うんだ。

って、また話題がずれたな……。

投稿者 ushila : 2010年06月22日 22:29

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