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2010年09月29日
けいおん! 映画化ってなんですか。
12曲ぐらいのライブ映画 しかも3D とかだったら見に行くかも。
2010年09月27日
下の記事
書いたときにはそれぞれのバージョンが断片的なりにも聞こえてたんだがな。
今読み返すとだいぶ聴こえない。
瞬発力ってすげえな。秋。
2010年09月20日
極私的・鈴木祥子トリビュートアルバム
twitterの続き的何か。
妄想トリビュート、と言えばみずしな孝之なんですが。
我ながらどこに向かってやってんだかわからないネタだなあと思いつつ、
思いつつままに。
「すべてはOK」(Perfume)
オリジナルは鈴木祥子+区麗情+五島良子というすげー編成だが、
とにかく3人だと言う理由だけでPerfumeさんに無茶振りして、
ystkのド変態ピコピコアレンジで聴くという思いつきに負けた。
ごくニュートラルに歌わせるならPuffyという線もある。一人足らないけど。
「ステイションワゴン」(坂本真綾)
なんか、鈴木祥子のサウダージ的世界観とは違う表現が聴きたい。
もっとこう、のーてんきに旅に出ちゃう感じ。
「恋人たちの月」(平原綾香)
水の中の月 とどっちか悩んだ。
平原の水面から沸きあがるような低音とどっから出てるかわかんない高音の両方を堪能したい。
「水の中の月」(中島美嘉)
というわけでこの曲はこっちに。
高音で研ぎ澄ましたように歌ってもらおう。
「エンジェル」(Sweet Vacation)
Mayちゃんマジ天使。
じゃなくて、Mayのイノセントな声でこの歌詞を聴いてみたい妄想がふつふつと。
そしたら大切なことが何だかわかるかもしれない。
「忘却」(篠原美也子)
これは一歩間違うと篠原の曲にしか聴こえなくなる諸刃の剣(笑)。
ピアノ一本でがっつり篠原色にして歌って欲しい。おもいっくそドス効かせて。
「何がしたいの」(YUKI)
これも一歩間違うとYUKIの曲にしか聴こえんかもしれん。
あの浮遊感を生かして歌って欲しい。
Charaでもいいんだがな、って言うのはたぶん禁句。
あるいはUA連れてきてどろーんと。
「サンデーバザール」(スガシカオ)
我ながら要らん引き出しが開いた。
あの無国籍感は早川大地ホイホイという感じもするので、
なんだったら東京エスムジカfeatスガシカオで(無茶)。
「Happiness」(山崎まさよし)
とにかく、むせび泣くようにブルージーに。
しかしこの流れは杏子さんにご登場願わねばならぬ。福耳的な意味で。
「あたらしい愛の詩」(杏子)
100%趣味(C)西尾維新。以上。
「Baby It’s You」(奥居香)
プリンセスプリンセスと鈴木祥子の因縁、って言うのがあってですね。
単純に赤坂小町のオーディションに鈴木祥子が参加してて、
奥居が鈴木祥子を見て「うまいしキレイだしこういう人が受かるんだと思った」
と思ってた、ってだけなんですが。
結果としてプリプリのドラムはきょんちゃんで大正解だったと思うんだが、
俺がプロデューサーなら真っ先に声をかけるかもしれない。
バカラックスキーつながりでもあるし。
「赤い実がはじけてた」(奥田民生)
・・・あ。ダメだよ本物連れてきちゃ。
「どこにも帰らない」(いきものがかり)
これもイノセント系だな。なんかほっこりとあったかい感じでお願いします。
「ときめきは涙に負けない」(相馬裕子)
ラストを相馬ちゃんならどう歌うんだろう、と思ったので。
一瞬「Goodbye,my friend」かと思ったが、やっぱこっちだった。
「言葉」(東京事変)
茜さす・・・的なイメージで。
「依存と支配」をド変態アレンジでやってもらってもよし。
「Sickness」(Bonnie Pink)
トーレ御大にご登場願って力いっぱい北欧テイストにしよう。まず。
「あの空に帰ろう」(石川智晶)
っていうかsee-saw。
梶浦の変態アレンジがアレンジが飛び出さないと、平原と見分けつかなくなる可能性大。
「最後のファーストキッス」(中島愛)
うん。何か妄想したら脳汁が出た。そんだけ。
「ひとりぼっちのコーラス」(原由子)
いわゆる御大枠なんだが、コレ絶対似合うと思う。
「ムーンダンスダイナーで」(宇多田ヒカル)
フライミートゥーザムーン的なイメージでお願いします。
「恋のショットガン」(メロン記念日)
これだけのために魔界から復活させろ。
赤いフリージアみたいな感じでどうだ(何がだ)。
…2枚組じゃんよ(笑)。
2010年09月15日
パラドキシカル
パラチノースとキシリトールとカルシウムとテトロドトキシンには一切関係ありません。
また、この記事は思う存分パラドックスを弄ぶだけのものです。
何らかの結論が出るとか、過度な期待はしないでください。
読むときは部屋と気持ちを明るくして、モニターから十分離れて読みやがれ。(某みなみけ三女風)
動画投稿サイト見てると二つだけ感心することがある。
所詮フリーライドが前提のシステムだから一切愛せないけど。
ひとつは遊び場としての面白さ。
アタマ取っちゃって、作りかけのものが出来上がる過程を目の当たりにしたら相当面白かろうな、とは思う。
もうひとつは、文化のアーカイブとしての存在意義。
変な話、俺はもはやおじいちゃんとしてしか知らないし、既に亡くなってたりする大先生の全盛期の映像とかが上がってたりするわけですよ。
著作権や隣接権は消滅してなくても、それはもはや商品としてのサイクルは終わっている文化遺産でしょうと。
実際問題としてコンテンツビジネスにはいろんな局面があって、岡本真夜のベストアルバムが上海万博のアレで小当たりしたり、バンドでこけた人がソロで小当たり出したり、大スターが亡くなると特需景気が起きたりはする。
まあだから、商品の寿命が終わっても蔵で塩漬けにしておく意味ってのはなくはないんですが。
著作権は許諾権だし、特に著作者人格権および一般的人格権は一身専属性が強い上に消滅しない権利だから、「意に反する」利用については権利者はノーと言える。
変な話、世間的に「幻の名演」とされる演奏や演技があったとして。
でも、その名演がアーティストにとってはどうしようもない悔恨や失敗にまみれていたり、今の自分の趣味とは全く異なるキャラや衣装で彩られていたり、変な話見えてはいけないもの(おパンツ様とか)が見えていたりした場合に、それを葬りたいと思うか、「あれも私なんですよね(苦笑)」で済ませるかは、これは本来アーティストの自由であり、権利だ。
だから仮にあの人があの時代の映像(羅列ネタにしたいぐらいたくさんあるぞ)を持ち出されてモニターを叩き割ったとしても、私は全く責めません。引きますが(笑)。
実例だって高尚なものからアレなものまである。
そういうことを考えると野放図に投稿や共有する行為を誉めることは、なおさらできにくい。にしても。
一方で著作権法は「著作者の権利の保護」をもって「文化の発展」を図る法律とされている。
あくまでレトリックのような気もするが、前者は手段で、後者は目的なんだと。
だから文化が著作者に隷従するような社会になってはいけないんだと。そういう議論も確かにある。
そんな時代がいつあったのか、私は知りませんが~。
いやまああのね、プロの作家と言われる人が全員アラブの石油王か小室哲哉か富樫義弘みたいな生活して全然破綻もなにもしなくて、しかもパッケージの値段はLDの時代とおんなじぐらいする世界とかがあったら、おかしいと思うよ?
まあしかし、マイケルもアラブの石油王に買われる世界ですよ。
セリーヌ・ディオンの安住の地はラスベガスのホテルの常時興行だったわけですよ。
このように自分の思い付きを自分自身に簡単に論破されちゃうんですが(苦笑)。
それでも冒頭に戻って、動画投稿サイトのメディアアーカイブとしての機能はなんとか文化の発展に寄与してほしい。
結果として、そりゃyoutubeやニコ動が新しいテレビ局になったり、新しいJASRACになるだけの未来かもしれないけど。
それはそれでいいんじゃないの?っていう。
まあ、このように立場を変えれば全然事情は違うんですよ。
だからパラドックスが生まれる。
ところでテトロドトキシンとアグネスタキオンって語感が似てるよね。
大正デモクラシーと灯台もと暗しぐらい。
あと、Coccoと歌ってるときのいきものがかりのボーカルぐらい。
2010年09月13日
三次元脳内嫁妄想。
菅野よう子さんは創作中で宇宙人になってるところにひっそりカレーとか作り置きしておいといてあげたい。
まぐろの漬けもご用意します。
川田瑠夏さんとは合コンで、いい感じのアジアンダイニングとかで生春巻きとか食べたい。
戸田ちゃんとは遊園地に一緒に行って、
「行くよホラ!」とかっつって手をつながれてジェットコースターとかお化け屋敷とかで「ぎゃー!!」とか言ってるのを超至近距離で聴きたい。
Mayちゃんにパフェとかプリンアラモードとかソフトクリームとか買ってあげて食べてるとこガン見したい。
ほっぺにクリーム付いてるの指摘して大テレさせたい。すくって食べたりはしない。
以上。ツイッターでつぶやくと何かとやばい。
ここでやる分にはキモくて元々。
眞鍋と北京亭行きたかった10年ぐらい前からあんまり成長してない。。。
そんな中学二年と23年生ぐらい。
2010年09月08日
脳毒ライフ。
脳毒 でぐぐるとトップに来るのがなんかどうしようもない疑似科学健康ネタマンガなのはどうにかならんかと思うが。
自分自身の脳みそが毒出してる感覚にときどき苛まれる。
なんだろう。その辺に転がってるキーワードに反応して過去のどうでもいい記憶を掘り返してバッドトリップしちゃう感じ?
たとえば、最近お気に入りのあのユニットをキーワードにすると、
そういえば片割れが赤門出身の男で女性ボーカルのミュージシャンといえば昔Paris Blueって言うのが居たなあ。⇒
日比野信午(作曲&コーラス)はなんとかやってるようだなあ。⇒
谷口實希(作詞&ヴォーカル)は…消息わかんねえなあ…。⇒
そういえば同じ時期にファーストインプレッションって言うユニットが…。
(谷口實希と田中玲子が俺の中で同じ引き出し)⇒
やっぱ田中玲子も消息わかんねえなあ⇒
そういえば宮田繁夫って何やってんだ今⇒
お、カーネーションと鈴木祥子のライブがあんのか。
と、何かのきっかけで一気にここまで走る。
わかった。
「そういえば」をNGワードにすればいいのだ。
ってできるかーーーーー!!
・・・寝る。おやすみ。
2010年09月07日
Starstruck
恐竜が絶滅したのは隕石衝突による気候変動に耐えられなかったから。
と言うのがいつのまにか学校で教えるぐらいの定説になってて驚く。俺が子供の頃は、なんだかわからんが氷河期が来て、ぐらいの話だったと記憶してるのだが。
どっちにせよ、氷河期が来て補食すべき餌が少なくなっちゃったので、図体がデカイ分食わなきゃいけない連中は滅びた、っていう全体の文脈は、大して変わりないのだろうが。
で。
俺は今、パッケージビジネス業界という恐竜の絶滅を目撃しつつあるのかもしれない。
絶滅しつつある恐竜には放送業界も含まれるので、コンテンツビジネスっていう言い方をした方がいいのかもしれないが、よく分からない。
何が恐竜を滅ぼそうとしているかについても、実は考えは千千に乱れている。
録音・録画機材や電子楽器の進化や、ネットワーク技術に代表される「技術の進化」なのか。
バンドやシンガーソングライターみたいに、本来大資本を必要としない表現形態を採るアーティストをコアコンピダンスに据えてしまった(あるいは表現の同時代性みたいなものにおいてそれらに勝てなかった)ことや、表現の独創性よりもCMやテレビ番組のタイアップで飽和的に露出させ、コンシューマがコンテンツにアクセスする機会を増やすことで消費を煽る方法論に傾きすぎた、というような、パッケージビジネス業界の利益拡大のための戦略に誤りがあったのか。
さらに言えば、安いは正義、とでも言いたげな、生産コストなんてものは一雇だにしない誤った消費者中心主義か。
どれかが恐竜を滅ぼす隕石だったのか、とにかくそのようなものが流星群のごとく降り注いだのか、あるいは元々パッケージビジネス業界には「自殺遺伝子」の如き何かが組み込まれていたのか。
(最後の可能性も捨てきれないんだよ。広告費で利益を得て視聴者からは料金を取らない仕組みが実はそれだったんじゃないかと)
ともあれ、隕石は落ちた。
恐竜が滅びたから哺乳類が栄えた、ってのは確かにあるんだろう。
また、やって来るのは氷河期ではないのかもしれないし、環境に適応した相当数のクリエイターと呼ばれる人たちは生き残るんだろう。
恐竜が滅んだのは生物学的な事実だが、現代の恐竜はまだ滅んではいない。
もし今もティラノサウルスとかトリケラトプスとか生きてたら、見に行くだろ、お前ら??
つまりそういうことだ(どういうことだよ)。
人類は恐竜人類と戦ってるかもしんないけども。3パターンに合体変形するタイプのロボとかで。