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2010年11月15日
こぼれたミルクに
twitterでちょろっと書いた通り、「ごはんはおかず」作曲者の来嶋優子は、中島優子(たぶん旧姓)で活動していた時期のあるシンガーソングライターだった。
で、いわゆるガールポップまわりの人だったから、俺はその時代にテレビで見ていたわけで。
忌野を「昔ちょっとだけ遊んでもらったことがある親戚のお兄さん」だとすれば、中島優子は「憧れだった先輩のサークルの後輩」みたいな、ボヤンとした位置付けではあるけれど。
その後、biceっていう名前で活動していた時期は知らないけど、小西御大に請われてレディーメードに参加したって話がホントなら、才能を理解してくれる人には恵まれた、ってことなんだろう。
そして、彼女はその日まで、確かに創作の現場にいた。
うん。だからね。
こんな形だったけど、あなたの作品にまた会えたことが、俺はちょっと嬉しかったんだよ。
だから、まだ俺にも出会いや再会のチャンスは残ってるんだと、もう一度信じてみようかなと、ちょっと思っている。
願わくば、次に出会うかもしれない彼女以外の誰かには、もうちょっと上手に出会えたらいいな、と思うのだ。
ロックンロールは鳴り止んでしまうかもしれない。
音楽の未来がどうあればよいのか。
抽象的に考えれば、リスナーの聴きたい音楽と、クリエイターの作りたい音楽がストレートに繋がる未来が理想的なんだろう。
しかし。それだけではたぶん少し足りない。
たとえば。
リスナーが聴きたい音楽を、一人のミュージシャンが作り続けられるとは限らない。
リスナーのニーズはうつろうし、時に才能は枯渇する。
あるいは、ひとつの才能だけでは生まれ得ない音楽、というのも存在する。
歌手の歌声が作家のインスピレーションを産み出したり、何気ないワンフレーズのアドリブが曲の輝きを変えたり、そういう出会いが名曲と呼ばれるものの誕生を促してきたというのも、音楽の歴史なんじゃなかろうか、と思うのである。
(最近の例で端的に言えば、ystkとperfumeが出会わなかったらどうなってたんだろうか?お互いに)
音楽製作機材の進歩は確かに作家を自由にした。
インターネットを使えば、音源ファイルをほぼリアルタイムにやり取りしながら協業していくことだって十分可能だし、すでにそういうことをやってたりもするんだろう。
実際問題としてあそこやあそこがミュージシャン同士の出会いの場として機能しはじめているのも事実で、そういう意味じゃ面白い時代になってきたな、とは思う。
ついでに言えば、特定の誰かに認められなければ音楽家として世に出ることができないのであれば、それはクラシックの時代も音楽業界の時代も大差はなかった、とも言えるのかもしれない。
だから。
ミュージシャンとミュージシャン、ミュージシャンとリスナーが直接に繋がる時代こそ、真に新しい音楽の時代なんだ、と言われれば、それはそうなんだろう、とも思う。
レコード会社の時代とは異なる出会いが、新しい名曲を産み出すのであれば、それはそれで素晴らしいことだと思うのだけれども。
それでも問題はまだある。
真に新しい音楽の時代において、誰が音楽に値付けをするんだい?って話である。
値付けなんて発想自体ナンセンスだって言うなら、そりゃ職業音楽家の時代そのものが終わった、って言うのも同義だ。
正当な価格付けができないものを、誰が生業にできて、誰がビジネスにできるのか??
そして、生業にもビジネスにもできないものに、誰が時間や設備という資本を投下できるのか??
(ライブとかコンサートビジネスは辛うじて生き残るのかな。でもチケ代がウン万円しそうだけど)
純粋な表現欲求と、不純な「ひとヤマ当ててやるぜ」的欲望(と、ねがわくば覚悟)が、大衆音楽を隆盛させた両輪だったってことは、歴史認識として看過しちゃいかんぜ、と思うのだ。
芸能家が川原乞食やお神楽の時代に戻っちゃった世界が、俺たちが望む世界であるわけがない。