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2011年10月26日
モヤモヤしている。
モテキを見てきた。
が、なんなのだろうかこのモヤモヤは。
(以下ネタバレ風味につき注意)
フジには幸せになって欲しくない、というのはさすがにネタな訳だが、大根監督とはエンディング論において異なる考え方を持っていると思わざるを得ない。
アキハバラ@DEEPもエンディングだけは俺バージョンの方がいいと未だに思っている(げらげら)。
で、と。
フジは最後まで相変わらず優柔不断でエゴイスティックなクソ野郎だった。
それが、
ほんの少しの(自分の恋愛感情に裏打ちされた)他人への思いやりと、その自分の恋愛感情を素直に行動に移す勇気さえあれば人間は幸せになれる。
というのであれば、そりゃあ蜘蛛の糸をうまいこと上りきってしまったカンダタみたいなもんだ。
いいんだよフィクションなんだから、と言えるほど醒めてもいなければ、人間なんて意外とそんなもんだよ、と言えるほど幸福でもない。
あまつさえその相手が・・・だった日にゃあ!!!
・・・あ、わかった。これ嫉妬だ(おいおい)。
僕がフジの立場だったら、あの人とくっついてそれなりに幸せな家庭を築いていたような気がしますが、それはさておき。
そういうオチをさっ引いて考えれば、映像と音楽は大根監督らしくキラキラしてるし、登場人物もやはり大根監督らしく実に俗悪で生臭くて、それだけに人間らしかった。
Perfume登場シーンはちゃんとmikikoさんが振り付けしてて、実はPerfumeもmikikoさんもあれだけ大仕掛けのパフォーマンスは初めてなんじゃないかと思う。
そういう意味では、途中を楽しむ映画としては最高だったと思う。
気に入らんのは橘いずみの使い方がほぼドラマと同じだったことぐらいだ。あと、失格より上海バンドネオンの方が合うと思った。
で、だ。
中森明夫がモテキ=サブカル敗北映画、という愉快な論理を展開しているようだが。
フジをサブカル野郎の典型として定義するなら、サブカルって何だったの?と思うわけである。
どっかの大先生がこれがいい、といったものに追従していくのがサブカルキッズ()の正しいアティテュードであると定義されるのだとしたら、そりゃあ三船敏郎に憧れてサッポロビールを飲んでたオジサンたちと同じ、都合のよい消費者を産み出す方法論に過ぎなかったのではないのか。
自分なりの勝手な理由付けをして面白いものを見つけ出して、それを同じものが好きな誰かと情報交換して新しい豊かな文化を創造していくというのがサブカルのお題目だったのではないのか。
(俺サブカルじゃないからよくわかんないけど、お前ら自分でそう言ってたじゃん)
言うたら自分で面白いものを見つけるアンテナとコミュニケーション能力の無いヤツはサブカル気取りのゴミクズなんであって、フジがナタリーの面接で開口一番口走る『俺サブカル大好きなんですよ』(=誰かがサブカルと定義したものならなんでも好きです)なんていう言説を認めるとしたら、それは『サブカルなんて、オシャレぶりたい若者をだまくらかして都合よく消費する豚に仕立て上げるための方便でしたー。べろべろべー』って言ってるようなもんで、それこそサブカルの敗北どころか自殺なんじゃないのかと。
だいたい大根さんも久保ミツロウも明らかにサブカル側の人間でしょうに(笑)。
だからフジはサブカル野郎だからモテないわけでも、自信がないわけでもなく。
モテないから自信がない⇔自信がないからモテない
の、がっかりループを繰り返してるだけのクソ野郎に過ぎない。
(だから身に詰まされていたたまれなくなるわけだが)
そう言う意味では、まあ良かったんじゃないのかな。残念ループから抜け出せて。
二度とこっち側に戻って来るなよ、フジ。
もうてめーの顔なんざ見たくもねぇや(笑)。
投稿者 ushila : 2011年10月26日 00:33
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