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2011年12月24日
TPPと著作権(3)正しい分節
分節というのは、同じものと違うものを分けること。
もうねえ。
法律論なんだから版権って言うのやめようよ、とまず思うんだけど。
版権って元々有形複製を内容にする言葉なんだけどな。
ビジネス的には立体化とかを含むらしいけど。
同人誌は無許諾で、グッズは一日版権(一日の頒布に限った許諾)で、って言う分節が理解できない。
もはやTPP関係ないんですけどね。
問題なのは頒布の期間じゃなくて複製・頒布の点数だろうし、同人誌とグッズを分けるものはどこにあるのだろうか?
例えば、原著作物が小説で、作中の描写から(作中では描かれていない)キャラ絵を書き起こして立体化したものと、ただ単にマンガの作中からトレースして編集しただけのものを「画集」と称したものを想定する。
前者は(法律上の議論はあるものの)二次創作物ですらない可能性があり、後者はただの複製物だ。
一方、視点を変えれば、前者は立体物で後者は一応「同人誌」と呼べる。
赤松の理論では前者は許諾が必要で、後者は不要であるべきだ、ということになるが、法律論としては大きな矛盾が生じていると思う。
あるいは、イラスト集とポスターとタぺストリーに、それぞれマンガやアニメのキャラクターをイメージイラストとして描いたとする。
どれも平面だ。
ポスターとタぺストリーには素材の差しかなく、同人誌とポスターには体裁の差しかない。
すべて無許諾の二次創作行為だった場合に、どれを良しとし、どれをNGとするかには、著作権法上は恣意的な分節しか存在し得ないように思う。
私的自治の原則と言うのは自分の財産を自由に扱うことができると言うことだから、著作者個人が自分の著作物の利用形態についてこれはいい、これはダメ、と言うことができるのは当たり前のことなんだけど、それが業界のスタンダードであるかの様に言うのは行き過ぎだろう。
グッズ化はロイヤリティーも高くて権利者側は元手がかからないからオイシイんですと言うのはビジネスの問題。
同じく、製作コストが高いので同人活動としてはやりすぎだと言うのは、あくまでも主観の問題。
さらに、同人誌については無許諾が基本で、グッズ化はライセンスを得るのが基本に「なっている」と言うのであれば、それはもうそう言う慣行が存在しちゃっていることを認めてしまった方がスッキリする。
慣行上、同人誌は無許諾でも許諾されているのと同等であると言っちゃえばいいのだ。言えるもんなら(笑)。
俺としては認めるつもりはさらさら無いが。
その場合、赤松が言う、TPPから守るべき違法な同人活動なんて物は存在しないことになると思うんだけどね。
俺としては、権利者は同人活動に対して許諾権を留保している、という考え方が一番すっきりすると思うけどね。
権利者がやりすぎだと感じるものについては、許諾権の裏側であるところの差止請求権と損害賠償請求権と告訴権がいつでも発動するみたいな。
そうじゃなければ許諾を得たと同等の位置付けになるという。
何をするのも自由だが、やり過ぎたら怒られる。
これほどシンプルなルールも無いじゃないか(笑)。
もちろん、法的安定性は皆無ですが。
で、この考えかたは、何かに似ている。
と言うわけで次回に続く
投稿者 ushila : 2011年12月24日 16:37
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