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2012年01月29日
最近のアクセスログを見ていると
「ヨーロッパ フェアユース」っていうワードで来てる人が目立つ。
んー。調べたいことはわかるんだけど、フェアユースはそもそも英米法系の考え方だからなあ。
とりあえず、わりとリベラル寄り=著作物の二次利用に寛容とされているのは、
フランス著作権法なので、
http://www.cric.or.jp/gaikoku/france/france_c1.html
ここ見て、122の6条あたり読んでみるといいと思う。
俺もあとで読んでみよう。
cricのホームページはメニューがぐにょぐにょ動くので読んでて気持ち悪いけど。
2012年01月13日
出版社に著作隣接権?
ぼちぼち「赤松先生に粘着するブログ」みたいになってきたのでアレだが。
赤松健は著作隣接権とは何かをわかっていないと思うんだ。
そうじゃなければ、わかっていないふりをして自分のビジネスの障害となるものを事前に排除しようとしているのだろうか。
TPPの時も思ったけれど、この人の文章は恣意的で煽動的すぎないだろうか。
さて。
現状、著作隣接権者とされているのは、以下の3者。
・実演家(歌手やミュージシャンや俳優など、創作物の無形複製を行う人)
・レコード製作者(レコード会社など、実演を原盤に固定したものを作る人)
・放送事業者(要するにテレビやラジオ局)
もともと著作権というのは版権=版元の権利であったのに、著作物に関する事業で出版業だけに何の権利もないというのはどういうこっちゃねん、という議論は、ずーーーっと存在していたのではあるのだが。
何で版面権ってポシャったんだっけか。
要するに、既存の著作物を上演・演奏するときに、そこに介在する人に認められる権利、と言えば良いだろう。
重要なのは、これらの権利は著作権と異なり、「その人が行った」実演や複製や放送にしか及ばない、と言うことだ。
つまり。
EXILEのChoo Choo TRAINにZOOの実演家としての権利は及ばないし、
BONNIE PINKがポニキャン時代の曲をセルフカバーしてアルバムに収録してもポニーキャニオンの権利は及ばないし、
どこかのアホが東京のテレビ局製作の番組を沖縄のテレビ局から録画してネットにうpした場合、北海道のテレビ局の権利は及ばない。
さて。
こうした著作隣接権の性質を、出版業に引き写すとどうなるか。
答えは単純で、出版社が携わった範囲にしか、出版社の権利は及ばないことになる。
つまるところ、作家が出版社(というか編集者)に手渡した段階の原稿は当然範疇外だし、漫画原稿に写植を貼ったり修正をした場合、原状回復できないのであれば、返却後の(または返却すべき)原稿についても、出版社の権利は及ばないと考えなければ、作家の権利が不当に制限されてしまう。
小説の場合はどうなるか?
いいよね説明しなくて(笑)。
いわゆる一般雑誌(週刊○○とか月刊ナントカとか)の場合、ここでは省略するが、掲載物の性質(記事かコラムか連載小説かグラビアか、等々)によって分けて考える必要があるだろう。
だから、仮に出版社に著作隣接権が認められることになったとしても、その権利の及ぶ範囲は印刷直前の印刷原稿か、印刷物でしかありえない。
ということは、実態として出版社の著作隣接権が機能する場面と言うのは、印刷物そのものが何らかの形で二次利用される場面しか考えられない。
で、そういう場面というのが具体的に何か、というのを考えると、やっぱり(印刷物をスキャンした)電子書籍の不正配信・公開ぐらいのものなんじゃないの?っていう。
赤松が言いたいことが、連載漫画における出版社(編集者)の関わり方の問題=実質的に原作者または共同作業者に近い作業を行っている場合があり、何らかの権利を与えるべきではないか、という意見も存在すること を内包しているのであれば、それは議論が違う。
音楽業界でもディレクターやプロデューサーと呼ばれる人たちはコンセプトやイメージの決定や、楽曲そのものの細かい部分について指示を出す場合はあるが、彼ら個人に何らかの権利が与えられているわけではない。
(音楽業界では、いわゆるミキサーさんに何らかの権利を与えるべきではないか、という議論もある)
あるいは音楽出版社のように、著作権の譲渡を受けてプロモーション活動を行う「出版プロダクション」のようなものを設立して、著作権者として権利を主張するというのもありうる議論だとは思うが、さすがにビジネスルールの変更としてドラスティック過ぎる感があるよね。
あえて論理を畳まずに、撤収。