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2012年10月09日

踊る大捜査線 THE FINAL 新たなる希望

これしかないラストだったと思う。

愚直なまでに走る青島。
見事に捜査を指揮しつつ、青島を信じ、その能力を引き出す、ほとんど超能力者のような室井。
青島のまわりには信頼できる仲間や町の人を含めた、彼の言う「俺の組織捜査」が確かに存在し、
室井のたどり着いた先には新城(筧利夫)や沖田(真矢みき)と言った、室井にとって信頼できる人々と共に、青島と室井にとっての理想である「正しいことができる警察」を目指せる環境があった。

そして、二人の中には確かに、警察の良き伝統(組織の中の信念と、胸に秘めた正義)の象徴としての「和久さん」が居た。

湾岸署捜査課の若者たちが不揃いながらも生き生きと能力を発揮する姿に比べれば、
(篠原夏美こと内田有紀は丸くなりすぎだと思うけど、彼女が「女青島」のままだったら収拾つかんよな。あと内田有紀自身がいい女になったなあ)
小池や鳥飼と言った、あるいは室井たち警察官僚にとって次世代を託せるかも知れなかった彼らが、私怨や未熟な正義に取り込まれてしまったことは残念でならないが、それでも彼らの存在はこの物語の最後を重厚なものにした。

本当に、これまでの「踊る」映画版シリーズとは一線を画する「本編」だったと思う。
映画人が言う「本編」(長編映画)という意味でも、踊るの「本編」であるTVシリーズの真の最終回、という意味でも。

すみれさんはいまいち影が薄いような気がするし、今となっては小林すすむさんの微妙な出番も要らん想像をしてしまうし、寺島さんとかSATの隊長とか、味のある脇役は他にもいたので、その辺ちょっと寂しいけどね。

ともあれ。
「3」の他にも、「1」「2」にも大なり小なり言いたいことはあるわけだが、このエンディングを見せられた上では蛇足にしかならないので、惜別の酒と一緒にぐっと流し込んで、この言葉を送ることにする。


さらば、愛しき刑事たち。

投稿者 ushila : 18:31 | トラックバック

おおかみこどもの雨と雪

踊るFINALについて書こうと思ったが、なんかこっちの方が簡単にまとまりそうなんで。

これは「おおかみこども」という空想の存在が、どのように自分を選んでいくかの物語だったのだと思う。

無邪気で明るい雪(姉)は、ある出来事で同級生の男の子を傷つけたことをきっかけに? 人間の中で人間として生きることを選び、
病弱で内気だった弟は、自然の雄大さに惹かれ、自然の中で狼として生きることを選んだ。
(そういう意味では、人間に惹かれながら野生を捨てられなかったお父さんは、この話の中で一番悲しいのかもしれない)

間をざっくり省いてしまえばそういう話だ。

物語の最後にそういう選択をする姉と弟が、見た目やしぐさの上でも狼と人間を行ったり来たりする姿は実に愛らしく、アニメ的ファンタジーを以て描写された。

そう、これはファンタジーなのだ。

自然も村の人も、母親にふりかかる子育て的試練も「優しすぎる」のではないか、という批判もあるだろうが、そんなもんはNHKが思い出したようにやる、終戦直後に満州から引き上げてくるタイプのドラマにでも任せておけばよい。
(さすがの俺も赤ん坊を小児科と動物病院のどっちにかからせるか迷うシーンは笑うところか真剣に悩んだが)

そして雨と雪は、人間らしく思い悩み、おおかみこどもであるが故に人間より早く、そして狼らしく誇り高い自立を選んだ。
その姿こそ、「おおかみこども」が狼であり、また人間でもある証(または、雨と雪が「おおかみこども」でなければならなかった表現上の理由)だったのだと思う。


最後に。
この映画の公開直後に、自称映画評論家様が、作品内にありもしないシーンをあたかもあるかのようにブログで喧伝していたが、あんなものは悪質なデマゴーグなのでご注意されたい。
映画館にはまだ間に合うぞ。

投稿者 ushila : 18:29 | トラックバック